あの夜空に瞬(またた)く宝石のような星々の光の多くは、何万光年もの時間を経て地球に届いている。もしかしたら、その大半が命を終えて、ただ光だけが降り注いでいるのかもしれない。
万葉集などの歌を読んでいると、作者は亡くなり、もうこの世にいないのに、歌にこめられた心情だけは、いつまでも消えることなく残っている。星の光も宇宙の果てまで永遠の旅を続けるように、歌もまた永遠に命を宿しているのでは、ないだろうか。
それは歌に限らない。例えば、世界遺産に登録されたものや、美術工芸品なども、人の心の結晶のようなもので、古き良きものに触れると、そこには必ず、その時代に生きて、何ものかを生み出した人の命が存在している。
日記を書くということも、飛躍して考えれば、生きている証のようなものかも知れない。誰かが死んで、誰かが書いたものが残され、その文章を読んだ人が、そこから何ものかを感じることができたら、それは星の光のように永遠という時間を手に入れる。
誰かに語り続けていきたいと思う。それは、いま生きてこの世にいる誰かだけでなく、わたしが死んだ後に出逢う誰かのために残せるようなものを綴りたい。「星に願いを」という美しい曲があるけれど、今夜はまさに、そんな気分である。
万葉集などの歌を読んでいると、作者は亡くなり、もうこの世にいないのに、歌にこめられた心情だけは、いつまでも消えることなく残っている。星の光も宇宙の果てまで永遠の旅を続けるように、歌もまた永遠に命を宿しているのでは、ないだろうか。
それは歌に限らない。例えば、世界遺産に登録されたものや、美術工芸品なども、人の心の結晶のようなもので、古き良きものに触れると、そこには必ず、その時代に生きて、何ものかを生み出した人の命が存在している。
日記を書くということも、飛躍して考えれば、生きている証のようなものかも知れない。誰かが死んで、誰かが書いたものが残され、その文章を読んだ人が、そこから何ものかを感じることができたら、それは星の光のように永遠という時間を手に入れる。
誰かに語り続けていきたいと思う。それは、いま生きてこの世にいる誰かだけでなく、わたしが死んだ後に出逢う誰かのために残せるようなものを綴りたい。「星に願いを」という美しい曲があるけれど、今夜はまさに、そんな気分である。
コメント