この本の題名は良くない。「意識の進化とDNA」(集英社 ¥514)では多少、遺伝子に対する意識がなければ手に取ることはできない。しかし、ぎこちなさはあるものの、一応、恋愛小説である。

 この画像では細かな文字は読み取れないかも知れないが、本の帯にはこう書かれている。
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「いのち」がわかる生命科学の入門書

なぜ私たちは愛するのか、感動するのか。
遺伝子と心の仕組みを注目の科学者がやさしく解説。

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入門書と書かれてある通り、おそらく中学生が読んでも理解できると思う。著者の柳澤 桂子は「はじめに」にこう記している。

「私は自分の脚で歩く能力を失って、そのかわりに見知らぬ人の心の中に愛を目覚めさせる力を得たのである。私の状態がもっと悪くなれば、私はもっと大きな力を持つようになるであろう。
 この時、わたしは瞬間的に気づいた。無限小は無限大であると。理屈ではなく、身体感覚としてそれを感じ取ったのである。そのことに気づいてみると、無限小が無限大である例がこの世には何と多いことであろうか。欲を捨て、心を無にしていくことによって、そこに何かが満ちてくることにも私は気づいた。それは愛であり、勇気であり、力であることを私は実感した。」

 わたしは、この本を読むまで詩を書いたり、短歌を詠んだりしてきたが、それらは、すべて自分自身のためのものでしかなかった。しかし柳澤桂子は、この本の中でDNAのことを語りながら、実は愛を求めていた。その愛は自己愛を超えた遥かに大きなものだった。

 その事に気がついた時、言葉にならないほどの大きな感動の波が打ち寄せてきた。そして、ふとある人物が思い出された。突飛に思われるかも知れないが、ベートーベンである。彼は聴力を失っても作曲を続けた。

 彼の最後の交響曲第九番ではフリードリヒ・フォン・シラーの「歓喜の歌」の合唱が作られた。その歌詞の一番最初にベートーベンの自作の歌詞が添えられている。

  おお、、友よ! このような悩みに満ちた音楽ではなく
  歓びあふれる調べを皆で歌おうではないか!

 ベートーベンは第九番によって悲しみや苦しみ、それら全てから解放された感がある。彼の人生の後半の音楽には安らぎと喜びと美への追求が漂う。シラーの詩に作曲をしたのは、彼の大いなるものへの愛が究極の調べを織り成した結果である。

 長くなるので「歓喜の歌」の詩の一部分だけ、ご紹介したい。

 この世のすべての者は、大自然のふところで歓びを享受する。
 すべて善なるものも、悪なるものも、
 すばらしきバラの道を歩むのだ。
 大自然は、われらに等しくくちづけし、ぶどう酒と、
 死の試練をこえた友を与える。
 そして小さな虫にさえ歓びが与えられ、神の前には天使が現れる。

  太陽が壮大な
  天空の軌道を駆けるが如く、
  走れ兄弟たちよ、君たちの道を、凱旋の英雄のように喜びに満ちて!
  百万の人々よ、互いに抱き合え!このくちづけを世界に!

 
 全ての芸術(詩を含めて)が、いつかは「歓喜の歌」へ、そしてベートーベンの第九へと辿る遥かな旅の途上にあるのだ。そして柳澤 桂子の求める意識の進化(愛の形)は芸術の世界を超え、さらに大いなるものへと誘っている。

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