今になってようやく気がついたこと
2004年2月28日 炭酸水の泡 いま気がついたことだけど、この日記は一日で複数の日記が書ける。そしてプロフィールの質問は自分で書き直すこともできる。自分で質問して自分で答えるのだから単なる自問自答になってしまいますが、それでも良いと思う人にはお薦めします。
初めて「カラー設定」が登場した時には苦労しました。色番号を入力して確認すると、とんでもない色の組み合わせになっている。できるだけ読みやすい配色になるよう頑張ったけれど、頑張った後で配色が複製できるらしい事に気がつく。ちょっとショックだった。
でも、もし、わたしの日記の配色を気に入った方がいたら、自由に複製して下さってもかまいません。できれば「HOME」にある掲示板にメッセージを残して下されば嬉しいな。
どうも本や映画の批評を書こうとすると自分でも知らず知らずのうちに固くなっている気がする。女性と書いてあるのに、どうも女性とは思えぬ文体です。もっと軽いノリで楽しく書いたら見に来てくれる人も増えるかもしれないけど、この日記はわたしの文章修行の場でもあるので、いたしかたありません。
それに「レビュー選択」で映画や本などの画像をUPする機能がついてからは、視覚で訴える効果に感動してしまいました。まるで雑誌に投稿するような気分になれるじゃないですか。
しかしプロフィールにも書いてある通り、読者を意識していないのが、この日記の欠点で、こうやって自分の都合を告白するのも良くないかも知れないね。でも本来、日記というのは自分が自分に語りかけるものなのだから、これからは、複数の日記を気の向くまま書くことも可能です。
無料の日記サイトは複数あるけれど、やはりDiaryNoteの新しい機能は面白い。例えばわたしの本や映画や音楽などの文章を読んで「あ、面白そうだな」って探してくれたりする人がひとりでもいると、すごく嬉しいな。
これからも炭酸水の泡のような、つぶやきを吐き続けるのだろうけど、儚く消え去る運命の言葉を日夜一生懸命綴りつける自分、そうせずにはいられない自分がいて、最近では、それを「どうして」とか「何のために」とか思わなくなってきました。
わたしは書きたいから書いているだけだし、それを共感して欲しいという願いを読み手には抱いていません。ものを書く人の中で「共感して欲しい」と願う人がいます。実はわたしも、そういう時期がありました。詩を書いたり、短歌を詠んだりすると時には感想を寄せてくださる人もいます。
ところが、自分(作者)の思いとは全然違っていることがあります。でも、誰かの詩や文章を読んで生まれてくるイメージはその人のものですよね。作者としては読み手の心の中に新たな何か(興味や感動など)が生まれたら、もう、それだけで充分なんです。「ありがとう」って思わなくちゃいけない。それ以上を望んではいけない。
また自分と異なる考えの人と時にはトラブルが起こることもあります。しかし「正しさは人の数だけある」ので何が正しいのか何が間違っているのかは、究極的には個人の価値観が善・悪を決めるのでしょうね。何かを誰かと争うつもりで文章を書いている訳ではないので、勝手に文章を転載したり議論を始めたりするのはご遠慮下さいね。
何だか、随分、脱線してしまいましたが、書きながら新しい発見が生まれるという経験をしたことがありませんか?例えば、女性の方で誰かに自分の思いを語りながら、本当の自分の気持ちに気がついたとか・・・わたしは、よくそんな事があります。詩を書いたり短歌を詠んだり、文章を綴ったりすると、いままで見えていなかった自分に気がつく、そんな発見があるんです。
今になってようやく気がついたことですね。
初めて「カラー設定」が登場した時には苦労しました。色番号を入力して確認すると、とんでもない色の組み合わせになっている。できるだけ読みやすい配色になるよう頑張ったけれど、頑張った後で配色が複製できるらしい事に気がつく。ちょっとショックだった。
でも、もし、わたしの日記の配色を気に入った方がいたら、自由に複製して下さってもかまいません。できれば「HOME」にある掲示板にメッセージを残して下されば嬉しいな。
どうも本や映画の批評を書こうとすると自分でも知らず知らずのうちに固くなっている気がする。女性と書いてあるのに、どうも女性とは思えぬ文体です。もっと軽いノリで楽しく書いたら見に来てくれる人も増えるかもしれないけど、この日記はわたしの文章修行の場でもあるので、いたしかたありません。
それに「レビュー選択」で映画や本などの画像をUPする機能がついてからは、視覚で訴える効果に感動してしまいました。まるで雑誌に投稿するような気分になれるじゃないですか。
しかしプロフィールにも書いてある通り、読者を意識していないのが、この日記の欠点で、こうやって自分の都合を告白するのも良くないかも知れないね。でも本来、日記というのは自分が自分に語りかけるものなのだから、これからは、複数の日記を気の向くまま書くことも可能です。
無料の日記サイトは複数あるけれど、やはりDiaryNoteの新しい機能は面白い。例えばわたしの本や映画や音楽などの文章を読んで「あ、面白そうだな」って探してくれたりする人がひとりでもいると、すごく嬉しいな。
これからも炭酸水の泡のような、つぶやきを吐き続けるのだろうけど、儚く消え去る運命の言葉を日夜一生懸命綴りつける自分、そうせずにはいられない自分がいて、最近では、それを「どうして」とか「何のために」とか思わなくなってきました。
わたしは書きたいから書いているだけだし、それを共感して欲しいという願いを読み手には抱いていません。ものを書く人の中で「共感して欲しい」と願う人がいます。実はわたしも、そういう時期がありました。詩を書いたり、短歌を詠んだりすると時には感想を寄せてくださる人もいます。
ところが、自分(作者)の思いとは全然違っていることがあります。でも、誰かの詩や文章を読んで生まれてくるイメージはその人のものですよね。作者としては読み手の心の中に新たな何か(興味や感動など)が生まれたら、もう、それだけで充分なんです。「ありがとう」って思わなくちゃいけない。それ以上を望んではいけない。
また自分と異なる考えの人と時にはトラブルが起こることもあります。しかし「正しさは人の数だけある」ので何が正しいのか何が間違っているのかは、究極的には個人の価値観が善・悪を決めるのでしょうね。何かを誰かと争うつもりで文章を書いている訳ではないので、勝手に文章を転載したり議論を始めたりするのはご遠慮下さいね。
何だか、随分、脱線してしまいましたが、書きながら新しい発見が生まれるという経験をしたことがありませんか?例えば、女性の方で誰かに自分の思いを語りながら、本当の自分の気持ちに気がついたとか・・・わたしは、よくそんな事があります。詩を書いたり短歌を詠んだり、文章を綴ったりすると、いままで見えていなかった自分に気がつく、そんな発見があるんです。
今になってようやく気がついたことですね。
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